嵐のピクニック (講談社文庫)

本谷有希子



 本心か。人はそれについてよく悩んでいるらしいね。みんな、この状況を本心ではどう思ってるんだろうとか、心の底から本音を語り合える友がいないとか。僕はそんなものが欲しいだなんて一度も思ったことはないな。確かに僕の周りには僕の才能やビジネスの匂いを嗅ぎ付けて、お世辞で塗り固めた人たちが数えきれないくらい毎日やって来るけど、僕はそういう人たちを集めてパーティするのが好きなんだ。お金を浪費すればするほどみんな喜ぶよね。ひょっとして君はお世辞って汚いものだと思ってる? それは違う。お世辞ほど美しいものはないんだ。お世辞について顔をしかめる人がいるとすれば、その人はただ自分がそういうものを浴びた経験がないからだと思う。

 僕からはお金の匂いがするらしいんだ。それってどんな匂いなんだろう。自分じゃよく分からないな。でも「どこでそんな香水売ってるの?」って女の子にもしょっちゅう聞かれるしね。もちろん嫌味で言われてるときもあるだろうね。僕の内面なんかには誰も興味がなくて、名前に寄ってきてるだけだって。僕自身、いろんなものの上辺しか見ないんだ。なんでも上辺のほうが上等なんだ。最初から人に見せるって意識があるからね。僕はシャワーの蛇口を捻ると出てくるお世辞で、毎日体を洗いたいな。そういうシャワーを作ってほしいって、前にどこかの会社の偉い人にお願いしたら、「いいアイディアだ」って褒めてくれたよ。

 ある日、僕はバーで一人の男に絡まれた。全然知らない男だよ。僕がいつものようにみんなに囲まれて酒を飲んでいると、そいつがわざとらしく連れの男に向かって大声で僕の批判をし始めたんだ。先に言っておくと、僕はそういう席で中心になって騒ぐタイプじゃない。お酒は少ししか飲まないし、それよりもみんながおいしい食事をして、ただ楽しく酔っ払っているのを見るのが好きなんだ。僕は自分があまり喋らないから、お喋りが上手な人が好きなんだよ。だから囲まれているっていうのは本当は正しいイメージじゃない。みんなが僕の周りで騒いでくれている。そういう感じなんだ。

 男があまりにも僕の名前を口にするので、嫌でも耳に入ってきた。腹はそれほど立たなかったな。今までにも自分の悪口を言う人には嫌というほど会ってきたしね。でも僕よりも周りの人間が気にし出して、僕に気づかれないようにアイコンタクトでやりとりし始めた。〈どうする?〉〈こっちから何か言ってやったほうがいいか?〉〈でもそうすると、さらにやっかいなことになるかも〉。みんな迷っているみたいだった。彼がこのバーに僕がいると分かっていてそうしているのか、ただの批判をしているところに僕らがたまたま居合わせたのか、実のところよく分からなかったからね。それにもし絡んでいるんだとしたら、彼はただ構ってほしくて仕方ないんだ。ケンカをふっかけたくてうずうずしてるんだ。相手の気をひきたい人間は、そう素直に書いたプラカードを首から下げて歩いているほうがよっぽどシンプルだと思う。そうすればいちいちこんなふうにお互い探り合わなくて済むからね。シンプルな方法が好きなんだ。

 男は僕と同じ業種の人間らしかった。細かいことは忘れてしまったけど、とにかく僕をアーティストとしては認めない、と主張していた。僕は声のする方を向いて、彼の外見を確かめた。外見って大事なことだからね。男も女も、顔はきれいな人のほうが魅力的だ。もしそうでない人は美容整形っていう手もあるし、洋服も洗練されてて高価であればあるほどいい。僕はデザイナーだけど、本当のところデザインは二の次なんだ。値札をそのまま裸に張り付けてても同じかもしれない。出会った瞬間、お互いの裸に貼り付いた値札のゼロの数だけ数える街って素敵だろうな。

 その男の格好は確かに悪くなかった。体に合ったシルエットのスーツ。ベルベット素材の靴。僕よりも五歳か、もしかすると十歳は歳上で、何かの雑誌で見かけたことがあるような顔だった。違うかもしれない。他人はみんな同じに見えるんだ。

 僕は珍しく酔っていたのかもしれないな。もしくは退屈していたのかも。いつもなら、そういう人間には一歩も近づきたいとは思わないのに、なぜかそのときは「こういうのもたまにはいいかもしれない」って思えたんだ。それに彼はとてもおしゃべりが上手そうだったから、興味がわいた。

 僕は止まり木から立ち上がって、トイレに向かった。カウンターしかない狭い店だったから、そうすると、嫌でも彼の後ろを通り抜けなければいけない。連れの男のほうはとっくに僕たちのことに気づいていたのか、とても気まずい様子で通路まではみ出していた体を起こした。その隣にいた例の男が─やっぱり僕がいたことを知っていたんだと思う─わざとらしいくらいに目を丸くして「あ、これはこれは。こんな店にまでいらっしゃるんですか」と馬鹿に腰の低い口調で僕に話しかけて来た。今にして思えば、そこは彼の行きつけのバーだったのかもしれないね。たまたま連れられて入った店だったけど、きっと彼の縄張りに踏み込んだんだ。

 僕は不思議な気持ちだった。どうして僕みたいな人間にわざわざ嚙み付こうとするんだろう。有名人だから? でも有名になるなんて思ってるより大したことじゃない。

「やぁ」と僕は言った。

「お久しぶりですね」とその彼は言った。どうやら一度どこかで会っているらしかった。

 彼は僕の行く手を阻むように背中を通路にはみ出させたままだった。通らせてくれないかと頼むと、彼はずいぶんいんぎんな態度で背筋を伸ばして謝った。小馬鹿にしている口調だよ。彼が僕に構ってほしくて仕方ないのは明らかだった。きっと取り乱すのを期待しているんだろうな。みんな、そうなんだ。僕の〈感情を出したくない〉ってスタイルが気に入らない人間はずいぶん多いよ。

 僕は途端にその男から興味が失せて、代わりに隣にいた若い男の子のほうが気になり始めた。偶然だけどバーの天井から落ちてくるライトの当たり方がよかったし、どことなく気品のあるお酒の飲み方をしているのもよかった。まだお金の匂いはしないけど、隣の絡んで来た男より顔もずっときれいだったしね。彼と話してみたくなった。素敵な上辺だったんだ。

 トイレから戻って、僕はその若い男の子の隣に座った。

「君は普段、何をしてるの?」

「アシスタントです。この人の」

 彼はそう言って、隣にいる男のほうを目で示した。隣の男は、僕に構われたいという態度がみえみえだったけど、無視され続けるうちに恥ずかしさを隠すためなのか、今度はバーのマスターに絡み始めた。こういう人間は自分からケンカを始めようって度胸はないんだ。とにかくこちらを苛つかせて、僕が怒り出すのを、ずるそうな目で待ってる。

「君のボスはいつもこんな感じなの?」

 僕が小声で聞くと、彼は「でもいいデザイナーです」と答えた。

「尊敬してるの?」

「はい。お酒を飲むと困った人だけど、仕事には誠実で」

「丁寧にじっくり時間をかけるほう?」

「そうですね。徹夜なんてしょっちゅうです」

「凄いな。僕は早さしか取り柄がないからね。生まれたときから、スピードのことしか興味がないんだ」

 彼は僕をちらっと見た。そして「取り巻きがすごいですね」とカウンターの反対側でわいわいやっている僕の友人たちについて口にした。「みんなお金持ちそうだ」

「そうかもしれないね。昔からなぜかそうなんだ。僕の存在感を買いたいっていう会社の社長さんとか」

「存在感?」

 彼の口調に侮蔑の感情が混じったのを僕は見逃さなかった。

「君はいくつ?」

「二十二歳です」。僕より十五も歳下だ。

「ファッションデザイナーになりたいの?」

「そうです。今はまだ修業中ですけど」

「どこのブランドが好き?」

 彼はいくつかのブランドを口にした。決して流行に流されない、それぞれの道を切り開いた由緒正しいブランドばかりだよ。

「浮ついたものは嫌い?」

 僕が聞くと、彼は一瞬躊躇ったような表情をしたあと、「嫌いですね」とはっきり口にした。

「じゃあ僕のデザインなんかどう思う?」

 彼は困っていたけど、僕たち二人よりも会話を弾ませようとやつになってマスターに話しかけているボスを確認したあと、「薄っぺらだと思います」と断言した。「なぜあなたが同業者の中で鼻つまみ者になっているのか、すごく分かる」

「持ち上げられていい気になっているから?」

「そうですね」

 彼は頷いた。僕の友人たちは、こちらがケンカを回避したムードを感じ取ったのか、また何かを熱心に話し込んで盛り上がっている。僕と一緒にしばらくその光景を眺めたあと、「あの人たちの中に、少なくともあなたに堂々と意見を言える人がいるとは思えない。イエスマンばかりって感じです」と彼は言った。

 僕は、ビールに向けられている彼の眼差しを観察した。彼が本当に向こう見ずで僕に意見をしてるのか、背伸びをして必死に気を惹こうとしているのか、もっとよく見てみたかったからね。

「今度、うちの事務所に遊びに来るといいよ」

 僕が〈D・W〉としか書かれていない名刺を取り出してカウンターの上に置くと、彼は怯えたような表情でそれに手を伸ばした。

「僕はたぶん、権力者になりたいんだ。影響力もすごいしね。権力者についてはどう思う?」

「よく分からないけど、寂しそうなイメージです」

「なりたくはない?」

「ないですね。誰も本当の意見を言ってくれなそうだから」

「君と君のボスはとにかく本当の意見を大事にするんだね。でもそれって、そんなにいいことかな?」

 彼は僕の質問の意味がよく分からないみたいだった。正直なところ、僕もあんまりよく分かっていなかった。ただこういう言い方をするのが好きなんだ。頭にインスピレーションで浮かんだ言葉を気分で口にするのが。

「僕は権力者が好きだよ。本当はみんな好きなんじゃないかな」

 彼は軽蔑の表情を隠そうとしなかった。自分にしかそんな顔はできないと思ってるのかな。僕は段々とこの若者に興味が湧いてきた。さっき名刺を渡したときは半分からかっていたけど、彼なら本当に事務所に遊びに来てもいいような気がした。それに演技だとしても、なんだかんだやっぱり人は大人になるほど誰かに衝突までして意見しなくなるものだしね。彼だって、きっとそのうち口もきけなくなるような恥ずかしい思いをして、大人との付き合い方が上手くなっていくだろう。

 彼はデザイナーになりたくて、僕に絡んで来た男のところでアシスタントをして勉強していると言った。僕はそれが少しだけ羨ましかった。僕にはそういう人間がいなかったからね。気づけば周りはみんな大人で、自分より若い子と仕事する機会にはなかなか恵まれなかったんだ。でも本当は、若い才能を集めて何かできたらいいなと前々から考えていた。サロンみたいな作業スペースに物を作る若い子たちが自由に好きなときにやって来て、お互いに刺激されながら創作する、そんな場所を作りたいと思ってたんだ。クラブ活動の延長のようなね。彼はボスをタクシーに押し込んだあと、また店に戻って来た。隅で飲み始めたので、近づいて僕がその話を打ち明けると、すごくいいアイディアですね、と目を輝かせた。

「でも僕は鼻つまみ者だからね。そんな場所に来てくれる子たちなんているかな」

 彼は酔っ払っていて、最初よりずいぶん警戒心を緩めていた。

「僕が集めてもいいですよ」

「本当に?」

「ええ。あなたはなんだかんだ言っても有名人だから、みんな近寄りたいと思ってるだろうし」

「僕は仕事の関係者を紹介してあげられる」

「そこに行けばコネが手に入るってことですね」

「代わりに僕は刺激をもらうんだ」

「だったらそこではみんながあなたにちゃんと意見を言える環境を作ったほうがいいですよ。あなたはどうせ褒められてばかりで、独裁者みたいな存在になってるんでしょう」

「じゃあ君がそこのリーダーをやってくれないか」

 僕の申し出に、彼は一瞬真顔になりかけたけど、このまま酔いに身を任せたほうがいいと判断したらしかった。やけに力強い口調で、

「嫌です。やりたくありません。僕は別に誰かにどうにかしてもらおうなんて思ってない」と言い放った。

「でもデザイナーを目指すなら、悪くない話だと思うよ」

「でもさっきまで僕はあなたを批判してたんですよ。これでホイホイついていくなんておかしいじゃないですか」

「真面目なんだね」

「望めば、なんでも手に入ると思ってるんですね」

 彼と話すうち、僕はどんどん自分が彼の言う通り、どこかの国王のような気分になってきた。そうしてこの愚かだけど、精一杯僕に意見をしようとする彼の頑張りがとてもいじらしいものに見えてきた。彼のような若者が本当に得をして生きていける世界があったらいいのにな。僕はいろいろな業界の裏側も見てきているから、余計にそう思った。彼みたいに愚直な人間は、もし本当に僕が国王ならとっくに処刑されているに違いないんだ。でも正直な人間が損をしない世界っていうのも、確かに少しだけ見てみたかった。だから、こう伝えてみた。

「僕は君の事が気に入ったんだよ」

 そのとき彼の顔には、いろんな感情がないまぜになった色が浮かび上がっていたよ。喜び。浮かれてはいけないという戒め。この先僕に気に入られ続けることができるだろうかという不安。バーのライトが当たり続ける雰囲気は相変わらずよかったけど、彼の目は少しだけ泳いでいた。権力者に気に入られるってのは結局のところ、アドバンテージでもなんでもないんだろうな。少なくとも彼は、僕に認められて自由を味わっている感じではなかったんだ。

 僕はなるべく彼が畏縮しないように、サロンの具体的な計画のことを優しく話し続けた。どの辺りに大きな作業場を借りたら良いかとか、寝泊まりできるマンションも必要だとか、いっそ盛大にレセプションパーティを開こうとか。僕の外見は男性的じゃないからね。柔らかい口調で、彼を安心させていった。

 数日間、彼は僕に連絡して来なかった。僕はまったく焦ることなく、仕事をスピーディにこなした。彼のことを忘れ切っているときも、たくさんあったよ。結局、こちらから連絡をしたのは、ある晩の自分の家で開いたパーティが少し退屈だったからだ。

「もしもし?」

 ここ数日、彼と自分に流れていた時間はずいぶん違っただろうな、と思いながら僕はパーティに彼を呼び出した。彼は渋っていた様子だったけど、家に運転手を向かわせる、と言うと、自分で行きますと電話を切ってやって来た。いろんな人に紹介したけど、彼はずっと仏頂面だったよ。みんなはあんまりいい印象を持たなかったみたいだけど、僕は気にしなかった。彼はまだ「社交」がどういうものなのか、知らないだけなんだ。

 つまらなそうに壁際で立ち続ける彼に、おもしろいものを見せてあげるよ、と言って僕はこっそり二階へ連れて行った。彼が僕をゲイなんじゃないかと心配したら可哀想だから、足の長い女の子にも声をかけて、三人でその部屋に入った。「モニター?」。部屋の中に入るなり、彼は驚きの声をあげた。「あなた、パーティを監視してるんですか?」

「監視じゃないよ。僕はパーティに参加するより、こうやってみんなが楽しんでくれているのを眺めてるのが好きなんだ」

 モニターは全部で六台あって、リビングや台所や庭でワインを片手に過ごしている友人たちを斜め上から映し出していた。女の子が歓喜の声をあげて、シャンパンと一緒に、それらがよく見えるところに設置されているソファに倒れ込んだ。

「パーティは出るよりも、見るほうがずっと楽しいんだよ」と言うと、彼はますます孤独な感じがしますね、と呟いた。「何もかもが悪趣味だ」

「本当に僕が気に入らないみたいだね」

「そうですね。僕にはあなたのいるところがちっとも魅力的には見えない」

「どうして」

「中身がないから。空っぽだから」

「この業界では珍しい感覚だね」

 僕はあえて彼のデザイン画を見せて、とは言わなかった。彼は僕のことを権力をちらつかせてフェアじゃないと思ってるみたいだったけど、僕からしてみれば自分の実力を隠したまま意見している彼のほうがアンフェアな気がしたよ。それに気づいたのか、彼は自分のレターバッグからノートを取り出して僕に差し出して来た。このとき、初めて彼の内面にも惹かれたかもしれないな。デザインがいいとか悪いとかじゃなかった。シンプルに、勇気があるって思ったんだ。彼がどんなものを描いてたのかは、あんまりよく覚えてないんだけどね。僕はデザインがいいか悪いかなんて一度も分かったことがないんだ。もちろん自分のもだよ。デザインなんて誰にでもできるんじゃないかな。

「素晴らしい」

 よく分からずに口にした。そういうことはしょっちゅうなんだ。僕は訳も分からず「最高だ」とか「信じられない」とか「感動した」といつも口走る。

 彼は押し黙っていたけど素直に喜んでいた。そういう表情を見ると本当にまだ子供なんだな、と思ったよ。女の子が隣から覗き込んで、何か言おうとしたので部屋を出て行ってもらった。そもそも名前も知らない子だったし、彼もモデルにはあんまり興味がないみたいだったからね。僕たちはそのあと、様々なことについて言葉を交わした。彼は特にファッションの話がしたかったみたいだけど、僕が「お酒を飲んでるときくらい、そういう話はしたくないな」と言うと、無理にはしてこなかった。利発なんだ。代わりに僕がいろんな質問を彼にした。相手のお喋りを聞くほうが楽しいし、自分のことはあまり語りたくないからね。

 彼は何も包み隠さなかった。聞かれたことにはすべて誠実に答えて、知らないことは「知らない」「分からない」と正直に認めた。僕は、今まで嫌と言うほど僕と話すことで舞い上がったり、気負ったりする人間に会ってきたんだ。彼は、いろんなことをヴェールに包んでおきたい僕とは正反対のスタイルの持ち主だった。

 こないだ話したサロンの話をもう一度持ちかけると、彼は「あなたのご機嫌を取る必要はないと約束してくれるなら」と散々悩んだ末、受け入れた。僕がスピーディな人間が好きだと言ったからなのか、次の週、彼はあの男のアシスタントを辞め、正式に僕の新しいサロンの準備に取りかかった。何人もの人間が一度に制作作業ができる広い倉庫を見つけてきて、中を改装し、才能を買っている友人たちに声をかけていた。僕は家賃を出し、若いクリエイターなら誰でも連れて来ていいと言ったよ。徒党を組みたいわけじゃなかったからね。いつでもみんながドアを開けていいし、気に入らなければ出て行っていいと言ったんだ。

 お陰でデザイナーだけじゃなく、ミュージシャン、アーティスト、画家、まだ世に名前が出ていない、たくさんの若者たちがそこに出入りするようになった。僕の周りは百八十度変わったよ。「これはどう思う?」とすべてにおいて彼らに尋ね、いいと思う意見は取り入れた。僕はパーティでお金を浪費する代わりに、彼らの個展やライヴやショーを開いてあげた。僕が利用されてると心配する人間もいたけど、実際は逆なんだ。僕は彼らが誰をどう思っているのか聞きながら食事したりするのが好きだった。噂話を聞いていた。何より僕の周りで一番変わったのは、僕のお気に入りだと思われている彼にならって、みんなが僕には生意気な口をきいたほうがいいと思い始めたことなんじゃないかな。嚙み付けば認めてもらえるとでも思ったんだろうね。初めは慣れなかったけど、眺めているうちに、本音をぶつけてくる世界も、お世辞を浴びせる世界も実はそっくり同じなんだってことに気づいたよ。みんな、僕を喜ばそうとしていることに変わりはないんだ。距離が近いように錯覚しそうになるけど、みんながどこかで僕に気に入られようとしてる。まだ何をしたいか分からない子までも、対等に意見するんだ。僕は民衆の声にきちんと耳を傾ける優しい国王になった気分だった。悪い気はしなかったよ。愛されていたし、いつも周りに人がいたし、懐の深い人間になれたんだからね。

 だけどある日突然、その瞬間はやって来た。誰もいない事務所で、いつものように彼が堂々と僕のデザインを否定するのを見て、急に何もかもが馬鹿馬鹿しくなってしまったんだ。この子はなんで僕と対等に話すんだろうってね。気持ちのいい言葉のシャワーをもう何ヵ月も浴びてないってことを思い出して、僕は今すぐ服を脱ぎ捨てたい気分になった。

 僕は「君は全然大した人間じゃなかったね」と彼の言葉を遮った。彼が強ばった笑顔のまま、何か言い返そうとした。

「もういいよ。これ以上は時間の無駄だ。君の話は退屈だからね。何か一緒にできるんじゃないかと思った僕が間違ってたんだ」

 早くここから出て行ってくれないか、とドアを指さすと、彼の顔色はみるみる青ざめていった。彼はもう一言も口をきけないみたいだった。意気揚々と掲げていた僕のデザイン画を持つ手が震え、広野の真ん中に突然投げ捨てられた子供のような顔をした。その姿が呼び水になったように僕の口は彼をさげすみ続けた。自分でも信じられなかったよ。子供をこんなふうに感情的にいたぶるなんて。最後に、彼は精一杯余裕のあるふりをして、目から何も滑り落ちていないふうを装って、事務所のドアから出て行った。僕はそれからすぐに後悔して、彼に電話をしたけど、もう二度と連絡はつかなかった。取り返しのつかないことをしたんだよ。僕は自分の舌を呪った。実際、十五日ものあいだ僕は後悔に苦しんだ。これまではいつだって頭の中にアイディアが次々湧いたのに、一つのデザインも浮かばなくなった。こんなことは初めてなんだ。みんなが噂した。僕はもう駄目なんじゃないかって。どんな励ましの言葉も耳に入らなかった。僕は本音を語ってくれる一番の友を失ったんだよ。

 でも、本当の変化はそれからだった。気づくと、僕は、ますます上辺の世界の素晴らしさが分かるようになっていた。自分はこちら側の人間だとはっきり意識できるようになった。まるで世界の裏側から戻って来たような気分だったよ。底のほうから、一気に高いところへ浮上したような気分だった。あれは、彼とのことは、らしくなかった。どんなに本音が魅力的に見えても、自分のスタイルを崩すまでのことじゃなかったんだ。僕の夢は、ゼロがずっと続くお金の桁を数えることかもしれないな。それってまるで、宇宙の何かと関係してるみたいだろ。僕は自分のリズムを思い出した。デザインも前にも増して冴えたやつが次々と浮かぶようになった。つまり、そういうことなんだ。本心かそうじゃないかなんて気にしなくていいんだ。いっそぶつけ合うほどの本音なんてどこにもないって思ったほうがいい。君の考えなんてみんなと同じで、わざわざ違いを強調するほどのことでもないんだよ。僕はまた毎晩パーティを開くようになった。若者は誰も意見しなくなった。もちろん、若者以外の人間も。君に教えてあげられる話はこれだけかもしれないな。権力者にとって、愚かな相手を処罰したい衝動を抑えるのはとても難しい。それと、人間はみんな同じだってこと。本当だよ。人間はみんな同じだよ。

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